☆しろの雑記帳☆


11/30 台北旅行 淡水、おいしかったものなど

台北から地下鉄で約40分の淡水川河口の港、淡水。17世紀に西洋人が砦を築いたり、清代末期には開港場だったり、海外とゆかりの深い地域です。
歴史的建築物がいろいろあると聞いて、行ってみました。駅を出ると目の前は淡水河口と対岸の観音山。そして観光地の人混み…
お天気の日曜日の午後だったので、賑わってるのはまあ当然。人混みに交じって、川岸のお散歩道を歩くのは、なかなか気持ち良かったです。

滬尾小学校礼堂跡は川を見下ろす丘にある、日帝時代の「小学校」の講堂跡です。当時は初等教育は日本人、漢人、原(先)住民に分けられて
日本人用の「小学校」と漢人用の「公学校」が、第二次大戦中の同化政策で統合されたのは、1941年だそうです。(できれば公学校を見たかった…)
丘の上に登ると、レンガ造りの建物がきれいに修復されてます。中には当時の教室の模型があり、生徒用の椅子に座れます。
机に当時の教科書が置かれていて、修身の教科書とか初めて見ました。奥付を見たら90年代に日本で復刻されたものでした。
この他、当時の学校生活の古写真や、日本の子供の遊びについての解説があります。


       淡水川河口と観音山             淡水川沿いの道       滬尾小学校礼堂跡      教壇と生徒の席       修身教科書

淡水礼拝堂はカナダ人宣教師が建てた教会で、現役の教会なので中には入れませんでした。隣にその宣教師についての小さい博物館があります。
前清淡水関税務司官邸跡。清朝末期に建てられた税関長官邸。スペインコロニアル様式の白いアーチの回廊が印象的で、小白宮と呼ばれてるとか。
内部の展示で税関のお仕事についていろいろ書かれてましたが、初めて知って驚いたのは、税関職員が外国人(西欧人)だったこと。
これが歴史の時間に習った、関税自主権の喪失というものなのですね。日本でも不平等条約改正までは、同様の状態だったのかな。
内部はあまり復元されていなくて、古写真とかもあまりなかったので、当時の様子がわからなくてちょっと残念。

紅毛城は、スペイン人が造った砦を、オランダ人が増築して、イギリス人が領事館として使い、第二次大戦中は日本が接収し
戦後はまた1972年までイギリスの領事館だったという、複雑な歴史を持つ建物。1972年…?と考えて、ニクソンショック!と気づきました。
中華人民共和国と国交を結ぶ国が増えて、台湾(中華民国)とは経済関係だけになっていったので、領事館が撤退したということですね。
…このお城の複雑な歴史は、台湾の複雑な歴史そのものだったのでしょう。内部の復元は領事の執務室のみでしたが
赤い外観のレンガの組み方が、利用していた国によって、時代ごとに違うそうで、ちょっと面白いです。このお城、外観すら複雑なのですね。


    淡水礼拝堂       前清淡水関税務司官邸跡      当時の模型        紅毛城        英国領事執務室復元  17Cの大砲と前清英国領事官邸跡

領事館のお城の隣に、領事館官邸があります。こちらの内部は、ヴィクトリア時代のお屋敷博物館として、力の入った復元がされてました。
どの部屋も家具調度が整えられ、晩餐会の準備万端のダイニング、キッチンには食材が並び、バスルームや子守の部屋も…
子守の部屋の解説によると、当時は使用人は地元の漢人が多かったようです。子供部屋にはヴィクトリア時代の絵本が並んでました。

淡水川は河口が西向きなので、夕日が有名なのだとか。遅くまで博物館見てたので、夕焼け見るにはギリギリの時間。
暗いので写真のピントに苦労してるうちに、暗くなってしまいました…河口に見える橋は、現在建築中の淡江大橋だそうです。


前清英国領事官邸跡ダイニングルーム   キッチン         バスルーム     台湾人子守の部屋        主寝室           淡水の夕焼       

最後に旅行中に食べたものや、お土産のお菓子などを…私は甘いものが大好きですが、唐辛子が一切ダメで、脂っこい料理も苦手。
旅行前に調べたところ、現在素食(ベジタリアン料理)が流行っていると知りました。これがおいしくて、ほぼこればかり食べてました。
カフェテリア形式のお店では、好きなものを容器に取って、量り売りでお会計。いろんなお惣菜が食べられて、お手頃でおいしいです。
大根餠や各種煮物、春巻きみたいなのや野菜のテリーヌみたいの、などなど…個別の料理名は不明ですが、どれもおいしかった…!
お弁当でも売ってました。これは帰りの便に乗る前に台北駅で買ったのです。持ち歩いてちょっと片側によってしまいましたが、味は絶品。

台湾では朝食をお店で食べることが多いとか。私も朝食屋さんに行ってみました。ここもカフェテリア形式。
カウンターに並んだ料理を、列に並んで取っていって、最後にお会計。蒸したて蒸し菓子、大根餠、オムライス巻、甘い豆乳です。
オムライス(料理名不明)は、卵焼きかと思ったら、魚介類を炒めたもの(多分)をごはんで巻いて、卵を被せたものでした。どれもおいしかった!

淡水で見かけた、元祖台湾カステラのお店。巨大なケーキをその場で切り分けて売ってます。ふわふわでぷるぷるで、いかにもおいしそう…
で、つい買ってしまって、すぐ後悔…でかいのです。一人旅なんですよ、食べきれる気がしない…と思ったのですが、一応賞味期限3日間で
うちまで持って帰ってきたのですが、飛行機で運んだのにつぶれも歪みもせず、紙箱だけなのに乾燥もせず、焼き立てと同じふわふわのままで
最後までおいしくいただけました。逆にびっくり。…いったい何を使ってどうやって作ってるのでしょう??たぶん企業秘密なんでしょうね。


素食(ベジタリアン)カフェテリア   素食の晩ご飯           素食弁当        朝食屋さんの朝ごはん  元祖台湾カステラの店     巨大台湾カステラ  

永楽市場のお餅屋さんで買ったおこわを、ホテルの電子レンジで温めたら、絶品でした。(お湯やスナックも24時間無料のホテルでした)
同じお店のゼリー菓子。…多分ゼリー部分はオーギョーチではないかと…柔らかいのにしっかりしたゼリーで、初めて食べました。
甘くした豆が挟んであって、これもなかなかおいしかったです。
九份の有名な芋団子。タロイモのお団子に甘いシロップがかかってます。お団子がモチモチで、大変美味。

中華街でよく見る「月餅」は、台湾のお菓子ではないようですが、ちょっと似た伝統菓子があちこちで売られてました。
「月餅」より、大きくて平たくて薄くて皮が厚めで、小豆餡やパイナップル餡が入ってます。個人的には伝統的な小豆餡の方が好みかな。
4つにカットして売ってることが多いのですが、どうしてもホールのが欲しくて、迪化街で買いました。うちに帰って写真撮影。満足。


永楽市場で買ったおこわ      ゼリー菓子       芋圓(タロイモ団子)      九份の伝統菓子の店    月餅風?の伝統菓子     迪化街で買った伝統菓子

台湾に行ったら南国フルーツを食べてみたい…と思ってたのですが、シーズンではないようで、あまり種類がありませんでした。
ドラゴンフルーツはサボテンの実です。切ってみると、中がびっくりするほど真っ赤。細かい種があるので、食感はキーウィフルーツに似てますが
酸味はなくて、大変おいしかったです。ドラゴンフルーツは色によって、酸味や甘みが違うそうで、好みの味で良かった。
パッションフルーツは柔らかいゼリーのような不思議な食感。おいしいけどちょっとすっぱくて、調べたら、外皮がしわになると食べ頃だとか…
しまった。皮のきれいなのを選んでしまいました。ちゃんと調べてから買わないとダメですね。室温で放置したら、滞在中に酸味が減りました。
台湾バナナも食べたかったのですが、なぜか見かけず…売ってるのはどう見ても、日本にもあるフィリピンバナナ…。おいしいのですが…
これも季節があるのかなあ。旅番組で食べてるのを見たことがあるので、栽培されてないわけではないと思うのですが…

あと、初めて見た鳥です。首の部分だけ模様の入ったキジバトがいる…と思って調べたら、カノコバトという種類でした。
ここだけ水玉の布をパッチワークしたみたいな不思議なハトでした。ズグロミゾゴイは、夕暮れと早朝に活動する鳥だそうで
宿の近くの公園によくいたのですが、暗くて写真が…たくさんいて、ケンカとかしてました。鳥も探せば、南国の鳥が色々いそうです。


ドラゴンフルーツ     カットしたところ       パッションフルーツ       カットしたところ       カノコバト       ズグロミゾゴイ 

つい長くなってしまう旅行記、お読みいただきありがとうございます。アジア圏の海外旅行は久々でやや不安でしたが、大変楽しい旅になりました。
なんか私、台湾人に見えるらしく、よく中国語で声をかけられました。中高年なので、地下鉄ではよく席を譲られましたよ。
ごはんもおいしかったし、歴史も勉強になったし、何より自然がきれいです。南国の植物や蝶だけじゃなく、山の風景も独特でした。
また機会があれば、季節を変えて植物園に行ってみたい。そしてできれば郊外の自然を歩いてみたいと思いました。


11/29 台北旅行 金瓜石・九份

台北郊外の九份というところが、古い町並みがきれいで有名と聞いて、行ってみることにしました。
調べたら、近くに金瓜石という金鉱山跡があって、日帝時代に日本の企業が開発していたとのこと。博物館もあるようだし、ではこちらも…
というわけで、あまり予備知識もなく出かけた金瓜石。台北からバスで1時間半弱。目的地に近づくにつれ、なんだかすごい山道に…
上下左右に揺れまくるバスの窓から、山の間に海が見えます。初めて見る台湾の海。…喜んで動画を撮ってたらめっちゃ酔いました。
バス停で降りると、あたりの空気がどことなく高原の雰囲気。なんとなくひんやりと湿っぽいのです。
あとで博物館の展示で、季節風などの影響で標高と緯度に比べて涼しく、また雨が多いのだと知りました。

バス停からさらに坂道と階段で金鉱山博物館へ。博物館の前には以前鉱山で使われていた、軽便路(トロッコ列車)の線路が復元されてます。
当時は九份まで軽便路が通っていて、人や物を運んでいたとか。復元トロッコには乗れませんが、ときどき観光客用に動かして見せてくれます。
博物館には、鉱山の年表や、採掘量が多くて大変賑わっていたこと、戦前から戦後の鉱山技術、金鉱山の地質学などについて展示されてます。
屋外に当時坑道に空気を送っていた巨大コンプレッサーがあり、ツアーで坑道見学もできるそうです。(坑道は見てません。)
金瓜石の周辺には、当時の日本鉱業の社員用の宿舎が公開され(見てません)、裕仁皇太子向けに建てられた迎賓館(修復中)もあります。

興味深かったのですが…展示に日本鉱業の従業員数は記載がありますが、台湾系と日本系の比率とか、坑夫や管理職での比率の違いがわからない…
鉱山は古来からの3K労働で、植民地で行われる場合、世界的に労働搾取が問題となっててたはず…台湾ではそういう問題はなかったのかな…??
帰ってからネットで調べたのですがあまり情報がなく、台湾人の事務職の方にたまたま当時のことを聞いたという記事が見つかったくらい…
記事では事務職では特に待遇に問題はなかったようですし、金瓜石の公学校(台湾人向けの小学校)の写真では、皆さんこざっぱりした制服でした。
あと、金瓜石は日本企業の独占でしたが、九份にも鉱山があって、こちらは鉱脈が散在していて大規模開発に向かず
日本企業が下請けに回していたそうで、その中に台湾人の実業家の方もいたそうです。
とはいえ、坑夫についての情報はほぼなくて…金瓜石の坑夫への搾取を描いた台湾映画があるようですが、ドキュメンタリーではないですし
どのみち日本版DVDもなくて見られそうにない…引き続き本とか探してみます。…中国語がわかれば、もっと調べられるのですが…


軽便路(トロッコ列車)の復元線路 復元駅(中はトイレ) 復元トロッコ車両  当時の巨大コンプレッサー  鉱山で使われた道具   金瓜石公学校     日本鉱業社員寮跡   

金瓜石にはもう一つ博物館があって、こちらは地質学、生態学、地域学の展示です。この地方の気候や地質などの解説の他
CGアニメで金鉱脈と坑道を立体的に見せてくれたり、周辺の植生についての展示、閉山後の生態系の復活、丘陵地での生活などの展示も。
この地域はシダが美しいことでも有名だそうで、博物館には写真や標本、テラリウムなどがありました。観光ルート沿いにももちろん生えてますし
お土産屋さんでもシダのカードを売ってました。また、道沿いにいろいろな植物を紹介するパネルがあって、探して歩くと楽しいのです。
鉱山開発は自然破壊でもあり、博物館には殺伐としたはげ山の写真がありましたが、今は緑の美しい場所に戻って、ほんとによかった。
知らなかったけど、ハイキングコースも整備されてるようです。展示によれば、地域の冷涼な気候のため、標高700m程度で高山植物が見られるとか。
ふもとは亜熱帯で熱帯植物が生えてるのになあ。初心者観光客向けのトレッキングツアーがあれば、参加してみたい…


 金瓜石金鉱山周辺ジオラマ  周辺のシダの標本    高山植物玉山シャクナゲ   シダのテラリウム    周辺の植物    植物解説パネル 金瓜石で見つけたイシガケチョウ

金瓜石の自然を楽しんだ後、バスで九份へ。観光の起点、九份老街バス停からの眺めは、さすがの素晴らしさでした。
しかし…そこから有名な商店街基山街に入ると、人混みに圧倒されます。もちろん、有名な阿妹茶樓のある階段、豎崎路も…
古い石段や、あちこちにつるされたぼんぼりは情緒あるし、お土産屋さんも楽しいけど…きれいな町並みも人混みでよく見えず…
土曜日だったのもあるけど、やはりオーバーツーリズム…でも商店街から狭い階段や通路に逃げ込むと、観光地ではない道にへ出られます。
鉱山時代の軽便路は今は自動車道ですが、商店街よりはゆっくり歩けます。他にも地図にないような細い路地や、お堂の脇を抜ける裏階段なども…
地元の人の生活路である、丘陵地の住宅街を巡る坂や階段からは、海も見えるし、ときどき猫が散歩してたり…こういうのもよいなあと思いました。

というわけで、充実した観光を楽しみ、夕方帰ろうとしたら…なんとバス停に観光客の長蛇の列…日本人観光客の方に伺ったら
火事で通行止めで、バスが遅れ、観光客が大渋滞…が~ん。何しろ山間の細い道ですから…(翌日調べたら、観光バスの火事でした。死傷者はなし。)
2、3時間は待つかも…と覚悟してたら、タクシーの相乗りが1人分空いてると声をかけていただき、周りに一人旅の人がいなかったため
私が乗せていただけて、台北に無事戻れました。よ、良かった…運転手の方にも、相乗りを募ってくださった台湾の旅行者の方にも、大変感謝です。


         九份からの眺め                     九份老街のぼんぼり           老舗のお茶屋、阿妹茶樓


   豎崎路の階段     激混み基山街    裏道に抜ける通路   通りを繋ぐ急な階段   地図に載ってない裏通り   階段を歩く猫   事故渋滞によるバス待ちの列

次はやはりちょっと郊外の淡水と、お土産や飲食物などについて…の予定です。


11/25 台北旅行その2

台北市内のランドマークなどをいろいろ…まずは城門です。台北の城市(城壁に囲まれた街)は、日本の侵略に備えて清朝が作ったものだとか。
…日清戦争後、実際の日本軍上陸時には、役に立たなかったようですが…。この時点で、まだ城内には地方政府機関くらいしかなかったそうで
日帝は、城壁を取り壊し、内部の空いている土地に、総督府をはじめ、東京にもなかったような巨大な洋館をいくつも建設しました。
城門は5つあったそうですが、西門は日帝が城壁とともに取り壊し、北門以外は、国民党政府が中国北部の様式で建て替えたとか。
当初の状態を唯一保っている北門…残念ながら現在修復工事中で、足場に覆われて全然見られず…写真はたぶん戦前のものです。
ちなみに、地下鉄の北門駅は、貴重な北門の紹介や、周辺の発掘調査の記録が展示され、ちょっとした博物館のようになってます。
観光のついでに、残っている4つの門を見て回りましたが、城市は南北1.3㎞くらい、徒歩20分程度。城内だけなら小さな町だったようです。


清代台北 古地図     台北城内 古地図      北門(承恩門) 古写真      東門(景福門)          南門(麗正門)         小南門(重熙門) 

台湾総統府(旧総督府)は旧城市の真ん中南寄りに建ってます。当時日本ではやっていた赤レンガの洋館ですが、びっくりするほど巨大です。
総統府の近くは総統官邸などもあって、警備の警官がたくさんいたし、正面の大通りを渡る横断歩道も少なくて、やや物々しい雰囲気。
総統府の東寄りにあるのが、二二八和平公園。二二八紀念館の他、国立博物館(行ってません)も公園内にあります。
池の周りに東屋が並び、南国の樹木がたくさん植えられた美しい公園です。ちょうど雨で、観光客や地元の方と一緒に東屋で雨宿りしました。
中正紀念堂はもと城壁のすぐ外、蒋介石を称える施設だそうで、現在はイベント施設や劇場などにも使われているようです。
腰が抜けそうなほど広い施設で、びっくり。蒋介石…独裁者のイメージが強いのですが、現在の評価はどうなのでしょう…
通貨にも彼の肖像はまだ残ってましたし…。とりあえず、広い施設内のやはり広い庭園は、きれいで居心地は良かったですが…


台湾総統府(旧総督府)           二二八和平公園              国立中正紀念堂のある広場              付設の庭園           

台北城市のできる前から、淡水川沿いには町があって、貿易で栄えてました。迪化街はその時代からの街並みが残る商店街です。
今建っているのは日帝時代の建物が多いようですが、両側にアーケードが造られ、台北が雨の多い街であることがわかります。
観光地で有名なので、観光客向けの店ばかりかと思ったら、意外に乾物やお茶のお店が多いようでした。もちろん土産物屋もあります。
通りの南の端にある永楽市場。もとは布製品の問屋が集まる建物だったそうで、今でも2階には布屋さんがずらりと並んでます。
1階は食品市場、上階には劇場も入ってるそうです。朝行ったので、まだ布屋さんはあまり開店してませんでしたが…
食品市場には、蒸し菓子屋さんや果物屋さんなど、台湾らしいお店がいろいろあって、初めて見る食品をいろいろ買い物しちゃいました。
一方、イートインのお店はお寿司屋さんが多くて、ちょっとびっくり。確かに島なんだから、魚介類は当然おいしいですよね。


              迪化街の街並み                   永楽市場2階布市場の店舗      1階の果物屋さん      餅屋さん

やはり清代からの歴史的な街並みを保存施設として残しているのが、剥皮寮歴史街区。やはり赤レンガが印象的な通りです。
中に小さな博物館がいくつかあるそうです。…実は、海事博物館にはまってしまって、時間に間に合わず…残念。
もう夕方でちょっと薄暗かったのですが、でもぼんぼりが灯ってるのも風情があって美しかったです。

歴史街区のすぐ近くにある龍山寺。台北最古のお寺だそうで、豪華な装飾が有名ですが、夜はライトアップされて、さらにキラキラ…
門も本堂も豪華絢爛。前庭の池の滝までライトアップされて、水しぶきがキラキラしてました。お供えも胡蝶蘭が並んで何とも華やか。
ちょっとテーマパーク的に楽しんでしまいました。お寺の近くには観光夜市があることが多いようで、行ってみました。
いろんな食べ物やお土産の屋台が並んでました。たまたま雨だったので人が少なめで、歩きやすかったです。

台北の街並み、ファミマやコメダ、すき家など、日本と同じお店が結構あって、繁華街とか一瞬日本の街かと思っちゃうのですが
大きく違うのは車の走る方向と、街路樹。ガジュマルやヤシなど、南国的な樹の、それもでっかいのがたくさん植えられて、見てて楽しかったです。


剥皮寮歴史街区         歴史街区博物館                  龍山寺               廣州街観光夜市        台北の街路樹

台北観光で一番楽しかったのは、実は、台北植物園でした。結構広くて見きれなくて、翌日もまた出かけちゃったくらいです。
日帝時代に日本の植物学者が研究していたとかで、当時の研究施設が標本館という博物館として公開されて、日本人研究者の業績も紹介されてます。
台湾って、熱帯から亜熱帯にある島ですが、真ん中の山地が標高が高いので気候が多様で、植物の種類が豊富なのだとか。
当時は植物学が始まったばかりの時代でもあり、台湾に行けば、たくさんの新種が発見できたわけで、研究しがいがあったでしょうね。
貴重な標本やその写真も見られますし、現代の植物研究の紹介も。日本語の表記も多いし、お勧めです。

観光的には、植物園東側の蓮池周辺が有名かもです。蓮は咲いてませんでしたが、錫葉藤(藤ではなくビワモドキ科)のお花がきれいでした。
水際に大きなガジュマルがあったり、隣の歴史博物館(行ってません)の中国風の建物が借景になったりして、見所が多いです。
でも、個人的には、特定の種類の植物をまとめて紹介する区画が楽しかったです。ヤシや竹の区画とか、熱帯っぽい種類が多かったし
ショウガ科のお花がちょうど満開で、いろんなお花が見られました。水生植物園にはジンジャーリリーがたくさん咲いてました。
一番のお気に入りはシダの区画で、いろんな種類のシダが、背の高いのも低いのも茂っていて、葉の形もいろいろで
前の晩雨が降ったので、葉っぱが濡れてつやつやして、ほんとにきれいでした。また機会があったら見に行きたいです。
あと、タイワンホトトギスがちょうど咲いてました。日本で見るより枝の分岐が繊細で、色も鮮やかな気がしました。

他にも、修復中や時間外だったりで見られなかったけど、清朝の迎賓館や日帝時代の日本家屋が移築されてたり、付属施設も多いです。
温室や東屋もあちこちにあるし、西側の入口周辺の壁に、いろいろな植物画の陶板がはめこまれていて、これも楽しかった。
観光客はあまりいなかったけど、地元の方がたくさん来てました。中高年のグループが早朝に体操してたり、鳥見、虫見の方もたくさん。
鳥撮りの方たちが皆で上を見上げてて、聞いたら珍しいフクロウが樹のてっぺんにいるのだとか。…私の双眼鏡やカメラじゃ無理で諦めましたが
鳥撮りの方たちの集まってる様子が、昭和記念公園とかで見るのとそっくりで、世界中どこでも変わらないんだなあとなんだか嬉しかった。

それから、チョウをいろいろ見ましたよ。日本でも見る種類と似たものでも、調べたら南国のチョウだったりして、あなどれません。
カバマダラが、飛んでるところがツマグロヒョウモンにそっくりで、調べたら毒のあるカバマダラに擬態してるらしいです。
リュウキュウアサギマダラは…コモンマダラかウスコモンマダラかもしれません…ネットの画像を見比べても、全然区別つかない…
どのチョウもとってもきれい。デジカメとスマホで追いかけまわしまして、頑張って撮影しました。(撮れなかったのもいたけど…)
植物園、こんなに充実して、早朝から開いてて、無料なんですよ。もしまた台北に行ったら、絶対また訪れたいです。


台北植物園の蓮池のほとりのガジュマル      錫葉藤        ジャスミン        ハイビスカス      ソテツの仲間        月桃の実  


 標本館            レトロな展示棚      研究者の机の展示  台湾の有用植物(奥が樟脳)  西側入口付近の陶板画     東屋


               ショウガ科の花々                            シダ類                    短節泰山竹


タイワンホトトギス     リュウキュウアサギマダラ         ベニモンアゲハ         ナガサキアゲハ            カバマダラ   

次回は台北郊外の観光地について…の予定です。


11/23 台北旅行

すみません、またしばらく旅行に行ってました。…もうトシだし、行けるうちに行きたいところには行っておこうと思いまして。
行き先は台北。…実は、出発直前に台風が来て、どうなることかと思ったのですが、台北の空港は、しっかり台風対策考えて設計されてました。
台風の風は台湾海峡に沿って吹き抜けるのですが、航空機は向かい風ならかなり強くても大丈夫なのです。
台北の空港の滑走路は台湾海峡に平行に造られていて、風も平行に吹き抜ける。そこを向かい風になる形で、見事に着陸してました。
温暖化で時期が伸びたとはいえ、もともと夏には台風の多い地域ですから、空港の設計も考えられてて、航空会社も慣れてるようでした。
台風は台南の方を横切ったので、さすがにかなり遅延してましたが、台北行きの私の飛行機は30分遅れただけ。すばらしい。
アジア地域はあまり旅行したことがなくて不安でしたが、本物の台湾料理は、日本のみたいに辛くないし(カプサイシン不耐性につき、これ重要)
公共交通機関も新しくてわかりやすく、多少日本語表記もあったし、あとはgoogle翻訳で何とか…。問題なく楽しく旅行できました。

というわけで、また旅行記を書かせていただきます。まずは台北中心部の博物館を訪れた順に…ということで、最初は二二八紀念館。
日本の敗戦後、台湾島は日本から中華民国に返還されましたが、中国大陸から来た国民党外省人の政策に、台湾島の地元民本省人の不満が高まり
煙草専売を巡る争いから本省人の反乱が起き、外省人官警が武力鎮圧したため、反乱が全国に広がり、大規模な武力掃討と政治弾圧に至りました。
博物館は事件を記念した公園にあって、日帝時代の権利獲得運動から、戦後の混乱、戒厳令下の政治弾圧、民主化運動の歴史を丁寧に解説しています。
でも、かつての宗主国だった国の国民としては、植民地時代の権利獲得運動に一番興味をひかれました。
台湾議会請願運動の写真や、戦争協力と引き換えに限定的な地方自治が行われた経緯などが、台湾からの視点で展示されています。


1924東京での第五回台湾議会設置請願運動    1930台中、台湾地方自治連盟発起人大会 1939台湾地方自治協会ポスター「銃後の連親和(団結)」       二二八事件         二二八事件の調査を求める80年代の運動

次は海事博物館。台湾って歴史的に貿易が盛んだったっけ…と思ってましたが、エバーグリーン(長栄海運)って、台湾の会社だったんですね。
もの知らずで知らなかった…創業者の方は日帝時代のお生まれなのに、東北の震災にも寄付してくださった親日家でいらしたとか。
博物館はエバーグリーンが運営されてるようで、台北中心部の大きなビルの1階から5階までを占めている、巨大なものでした。
世界の船の歴史や、西欧や中国での航海術の発展、台湾各地の港の歴史、自社コンテナ船の模型が無数に並んでたり、操舵室の実物大模型とか…
台湾と中国に関する展示だけサクッと見るつもりが、充実しすぎていて、つい夢中になってしまいました。
船の模型が無数にありますし、1階ホールに大型模型も並んでるので、お好きな方はぜひ…なぜか現在入場無料でしたよ。


17Cオランダ ホールン港  中国ジャンク船 福船   台湾の祭儀用の王船  台湾の帆筏  台北外港淡水 古地図 日帝時代の日本商船の広告 スエズ運河とエバーグリーンコンテナ船

台湾原住民博物館と故宮博物院は、台北中央部から少々離れた場所にはす向かいに建ってて、同じ日に行きました。共通チケットで割引あり。
日本で「原住民」というのは差別的なニュアンスですが、台湾語では「先住民」は今は滅びた民族のことで、生きてる方には差別語になります。
…漢字の意味のズレが難しい…私は日本語で書いてるので、ここでは原(先)住民と表記させていただくことにします。ご了承ください。
台湾には政府公認の原(先)住民が16民族、地方自治体公認や、未公認の民族も含めるともっとたくさんになるそうです。
博物館には台湾原(先)住民の伝統衣装や生活用具、古写真などがたくさん展示されてます。凝った装飾の民族衣装がいっぱいあって写真撮り放題♪
日本の某服飾博物館ではいつも撮れなくて悔しかった分、刺繍や織柄のクローズアップや、装飾品などを撮りまくりました♪

ただ、伝統的な生活はいろいろ展示されてますが、現代台湾で原(先)住民の方たちがどういう生活をされてるのか、よくわかりませんでした。
あと、移住してきた漢人や、日帝時代の日本人とは、かなり軋轢があったと聞いているのに、そういう歴史の展示も見なかったような…
漢人の実業家の方のコレクションをもとにした博物館とのことで、仕方がないのかもですが、原(先)住民の方たちはどう思われてるのか
伺ってみたいと思いました。台南の方に新しい歴史博物館があるそうなので、機会があればそちらも見てみたいと思いました。


台湾各地の原(先)住民の紹介  パイワン人男女衣装  平埔族(平地系原(先)住民)布 ルカイ人女子長衣(部分)  蜻蛉玉首飾り   ヤミ人家屋等模型     網籠いろいろ  

さて、はす向かいの故宮博物院。敷地の内外にお庭があるのはご存じでしょうか。台湾のお庭って、中国と違うのか気になって行ってみました。
博物院の西側にあるお庭が至徳園。入口は小さいのですが、中は結構広く、蓮池を中心に園路が回っています。無料で24時間開園してます。
蓮はさすがに咲いてませんでしたが、熱帯スイレンが露地で咲いていて、さすが亜熱帯と思いました。
ジンジャーリリーやブーゲンビリアも満開で、南国のお花のきれいなくつろげる庭園でした。
博物院の敷地内にある至善園、こちらは博物院のチケットが必要と聞いてましたが、行ってみたら無料開放されてました。
こちらはかなり広くて、池も東屋もたくさんあります。お花はあまりありませんが、回遊式庭園としてお散歩を楽しめます。
博物院の入口近くに出入り口があるはずが、あまりに広くて迷ってしまい、入った入口に戻りました。
…実は博物院は前庭が広大なのです。門からは遥かかなたの、さらに階段の上…。だから、お庭を通って入口近くまで行きたかったのですが…

故宮博物院、北京の故宮が公開されて100年とかで、いろいろお宝が並んでいたようです。
故宮博物院は、レベルは違うかもですが、トーハクさんと同じで、持っているお宝を、テーマを決めて順繰りに展示してる感じでした。
現在有名な玉の白菜は現在チェコに出張中。今の目玉展示は肉形石の他に、23層に透かし彫刻を重ねた象牙の玉のオブジェのようでした。
1個の象牙の塊から、入れ子になった23層の球体を彫り出したという、超絶技巧です。23層に重なった球体は、それぞれ別々に回転するとか。
CTで23層それぞれの文様を調査して、画像にしたものが一緒に展示されてました。
清朝のお宝は、凝った箱に入ったミニチュアや、身に着ける装飾品が無数にありましたが、清の工芸品ってちょっとキッチュで、やや苦手かも…
中国歴代の陶磁器や玉の工芸品、古代からの武器の展示、清朝貴族の生活の再現展示、その他書画や硯や仏像や…たくさんありすぎて見きれない…

明の永楽帝の肖像画、写真で見るとわかりにくいけど、実物は影をつけて立体的に表現されてました。先日韓国の立体的な肖像画を見たけど
こういう表現は東アジアの伝統にあるものだったのですね。日本では顔は線描が普通なので、私が無知でした…
宋の時代の書画の展示がありましたが、これもリアルに描かれた馬の絵が大変見事でした。
実は水墨の風景画とか、リアリティなくてあまり好まないのですが、東アジアには写生画の伝統も続いているのだと理解しました。
そういえば、中国の花鳥画の鳥は割と抽象的なのに、花虫画の虫は結構リアルな気が…何をリアルに描くかの基準が知りたいなあ。


至徳園 東屋      熱帯スイレン    ブーゲンビリア     至善園 池と東屋       木陰の東屋       回廊     門の向こうに見える故宮博物院


明代 永楽帝肖像画    清代 肉形石  清代 象牙雲竜紋彫刻玉 清代 丸と四角の仕切り箱  清代 粉彩百蝶紋瓶    元から明代 玉頂      宋代 李公麟 五馬図(部分)  

次は、国立博物館南門館。国立博物館の分館で、阿片と樟脳の製造と専売についての博物館です。
清朝末期に阿片が蔓延してたのは知ってましたが、台湾でも阿片中毒は問題になってたそうです。日帝の植民地総督は
阿片中毒者を増やさず、かつ利益を上げるため、中毒者の登録による専売を始めました。…これは…煙草の専売よりかなりあくどい…
そして、清代から台湾山地のクスノキは樟脳の原料として有名でした。南門館は、当時の阿片と樟脳の工場跡地の倉庫が博物館になっています。
この近くに日帝時代の立派な洋館があって、現在は普通の企業のビルのようですが、戦前は総督府の専売局の建物でした。

樟脳は、現在でもメンソレータムなどに含まれる薬用成分ですが、セルロイドの原料として需要が急増しました。
セルロイドはプラスチックの普及で廃れましたが、かつてはおもちゃや装飾品から、映画のフィルムにも使われました。
戦前の台湾の樟脳は、一時世界シェア7~9割だったそうです。台湾の樟脳が、当時の映画産業の勃興を支えてたのですね。

樟脳の生産は、台湾の山地に生えるクスノキをチップにして、水蒸気蒸留し、粗製品の樟脳と脳油を南門工場に運び、精製していました。
木の伐採と粗製品の蒸留は山の中で、総督府の認可を受けた職人(主に漢人)が行うのですが、原(先)住民の居住地を侵すことになり
清代から始まった争いが、植民地下の専売によって激化して、双方に死者が出る争いが何度も起きました。
総督府は、平地系の原(先)住民を雇って、山地に住む原(先)住民と争わせたり、原(先)住民居住地を電線や地雷で囲い込んだりしました。
樟脳は無煙火薬の原料でもあるそうで、これらの争いに銃が使われたことを考えると、何とも言えない気がします。
でも、原住民博物館でわからなかった、原(先)住民と漢人と日本人の関係が、いくらか理解できたような気はしました。


山地での原料や粗製品の運搬  山地の蒸留釜の模型   南門工場の模型    工場のプラント   箱詰めされた製品の模型   セルロイド製品    当時の専売局のビル   

次回は台北市内の観光名所などをご紹介する予定…です。




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